ギラン・バレー症候群になった日(6:入院生活)

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点滴治療も3日目となり、針が刺さった状態にも慣れてきた。私の場合、怠さや不自由に対するストレスはあっても、痛みを伴わないため、闘病生活というほどの緊迫感はない。

私は神経内科病棟で4人部屋。私以外は神経系の痛みを伴っている病気のようで「いたたたたた!」という叫びが日常的。私は幾分かマシなんだろうなといつも感じていた。また、後日歩けるようになってフロアを徘徊していたが、私より若そうな入院患者を見たことはなかった。神経内科とはそういうところなんだろう。

入院生活というものは基本毎日同じリズム。朝6:30に看護師に起こされて検温、血圧測定、7:30ころに朝食。その後歯磨き、両手で歯ブラシを持ち、なんとも頼りない歯磨きをする。歯磨きでエネルギーを使ってしまい、しばし横になる。
ボーッとしてると9:00過ぎに点滴がスタート。始まると夕方までトイレ以外は寝たり起きたり本を読んだり。治療中の5日間は実につまらなかった。

本を読みたいが寝たままでは握力がなく本を支えられないので読めず、座って読むことになるが、眠くなるし、集中力がもたない。ついついiPhoneをさわってしまう。
スマホはほんとありがたいアイテムだった。この頃は文字を書けなかったので日常をメモできたのは腕の力や握力がなくても使えたiPhoneのおかげ。

3日目以降しばらくの間はいろんなことができなくなっていた。行動範囲が狭いのと限られた活動しかしないのでこれぐらいのことだが、些細なことができなかったのはストレスだった。
・牛乳パックのストローが刺せない
・袋物のおやつは開けられない
・歯磨き粉チューブを持ったままチューッと出せない
・食事のデザートで出されるゼリーとかプリンのフタが開けられない
・ペットボトルのキャップが開けられない(今も尚)
・左手ではスマホがつかめない
・ペンが持てず文字が書けない
・お薬(錠剤)をパッケージからプチっと出せない
できないことがあるたびにナースコールするのも気が引けるので、妻が面会に来ているときにできないことを助けてもらった。本当に感謝。

入院3日目に初めてシャワー入浴をした。以降は2日に1回。一人ではシャワーヘッドを掴んで浴びることはできないし、カラダや髪を洗うこともできなかったので妻が面会に来たときに手伝ってもらった。神経が作用してないため、指は曲がったまま手のひらはまっすぐならないので顔も洗えないのは結構ストレス(今でもそう)。

そうそう、看護師と仲良くなったりするのかなあ、なんて思っていたがそれはなかった。早番/遅番のシフトがあり、毎日担当も変わるので、あまり親しくなれる方がいなかった(残念)ただ、いろんな人がいたね。慎重派、慌てん坊さん、新米ちゃん、大ベテランさん、親しいやすい人、冷たい感じの人などなど。皆さんには本当に感謝してます。ただね、みんなマスクをしているので素顔がわからん!そういえば、目元が矢口真里にそっくりの看護師がいた。ざわちんのメイクかと思うほどよく似てた(後日、マスクなし状態を拝見するとまったく矢口真里には似てなかったがw)。

こうして5日間が過ぎていった。

ギラン・バレー症候群になった日(5:進行)

shokuji

11/15(土)6時半くらいだったか、看護師さんに起こされて目が覚めた。朝の検温と血圧測定だ。37.4℃、血圧は160/110とかなり高め。自分でも驚いた。「トイレ行きたい」といって起き上がろうとすると両腕に力が入らなくなっていた。ふだんのように一人でスっと起き上がれなかった。ベッドを少し起こし、両足を上下に振った反動で起き上がった。左腕の怠さは増し、右手の痺れはじんじん。両足もかなり痺れ、確実に進行していると感じた。

さらに病状の進行を思い知らされたのはトイレのとき。男性特有の立って用を足すことが(ふらついて)むずかしいため、座って用を足したのだが、終わって立ち上がりスウェットパンツを上げるのに力が入らない。ゴム部分を掴めないので両手親指でうまく引っ掛けることには成功したが、そこから腰まで引き上げることができない。OMG! なんてこったい。再度がんばってみたがやはりダメ。腕がぶるぶる震えるだけで力が入らない。観念→ナースコール→応援要請。看護師さんに引き上げてもらった(照)。

ベッドに戻って大きなため息が出たことは覚えている。7時半になって朝食が運ばれてきた。寝てるだけなのにお腹は空くものだ。看護師さんが「食べにくかったら言ってくださいね」と。なんのなんのごはんくらいはと思っていると、お箸がうまく掴めない状態になっていた。フォークやスプーンは用意されていたので「ははーん、そういうことね」とフォークで食べ始めると、病状の進行に気付いた。食べる道具の問題に加え、噛む力と飲み込む力が衰えていたのだ。
その日の夕飯から数日は写真のような食事(とろみ/刻み食というドロドロの糊のようなごはんととことん刻んだ野菜やお肉)に変えられた。これは不味すぎて苦痛そのものだったのだ。

そして9時過ぎから17時頃までずっと点滴しながら寝てるだけ。合間にトイレ。夕方になって担当医が診にきてくれた。「かなり進行してますが、これがピークなんでしょうか?」と訊ねると「どこがピークかわからないので今がピークになることを祈りましょう。とにかく安静に」と。難病に相応しい回答だ。しかし、夜にはさらに悪化する。ナースコールのボタンすら押すことがむずかしいくらい力がなくなっていた。

ギラン・バレー症候群になった日(4:治療)

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検査が終わり、「ギラン・バレー症候群」と認定された後、さっそく病棟に移り、治療が始まった。朝、病院まで自転車で走ってきた私だったが、13時過ぎにすべての検査が終わり、病棟に運び込まれたころには立っているのもやっとという感じになっていた。「病は気から」なんて言うが、自分が難病にかかってしまったということに少なからずショックを受けていたに違いないからカラダも重いのだと思っていたが、実際はすごいスピードで病状が進行していたようだ。

治療は大量免疫グロブリン点滴静注療法というもので、いわゆる点滴。1クール5日間連続投与と聞かされた。それでも進行が抑えられなければ人工透析のような血漿交換になる可能性も示唆され、同意書にサインした。正直これはちょっと引いた。結局、後者には至らなかったが、即入院となった初日から苦痛の点滴生活が始まった。ベニロンという薬(2,500mg)を11瓶、その後ソルデム輸液500mgを2袋入れる。この日から5日間、8時間ぐらい点滴されることになる。

この病はいまだに原因がはっきりしていないため、特効薬というものも存在しない。本来自分のカラダを守るべき役割の抗体があろうことか自分の末梢神経を攻撃するという免疫システムの異常からくるもので、上述の処置で少しずつ元の機能に戻していくしかない。

早期に治療を開始し、進行を遅めることと症状の重さをできるだけ軽くするような処置しかできない。また、症状や後遺症、薬の副作用などは個人差があり、こうなったら次はこうなりますよ、なんてことは言えないのだそうだ。

私の場合はいったいどうなるのか、不安で仕方がなかった。点滴を受けながら寝ているだけだが、とにかく痺れ度合いが半端ない状態になっていることだけはわかった。
右手の親指と両足の指に至っては痺れが酷すぎて「じんじん」から「ズキズキ」に変わっていた。

夕方、尿意をもよおし、トイレに行こうと起き上がると目眩がした。実は一人でトイレに行ってはいけないと言われていたのだ。足の痺れがあり、転倒の危険性が高いからだ。こんな状態なのに転んで骨折なんてシャレにならない。病室内のトイレまでわずか2メートルくらいだが、ナースコールをし、看護師に付き添ってもらい、無事に用は足せた。

そろりそろりではあるが歩けた。初日夜、痺れはひどく、力がないが腕も動くし、指も動いた。このくらいで(進行が)止まるのか、明日はどうなってるんだろう?不安だらけの初日は過ぎていった。(消灯)