リハビリ自主訓練メニュー(その後)

現在の私は毎週火曜日に関東労災病院のリハビリテーション科に通院し、その他は自主訓練メニューを日々こなしながら完全復活を目指しています。
ギラン・バレー症候群によって奪われた私の筋力の回復は思いのほかゆっくりで、少し階段をのぼったと思ったらしばらくは平坦でまた少し階段をのぼるという感覚。

今はほぼ毎日軽い筋肉痛や筋の張りがある。そのため力むとすぐに攣る。
自分でも驚くぐらい攣る。割と厄介。

ではどんな運動を行っているか、分類すると3つ。

  1. 体力面の向上
  2. 肩、腕の整理/回復運動
  3. 体幹の回復

体力面というのは持久力。ウォーキングと軽いスクワット。
ウォーキングは40分〜60分、スクワットは20回を5セット、現在の体力ならどちらか一方を行えばよい。
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肩、腕の力を整理する運動はエクササイズ用に販売されているゴムバンドを使用。力がないのでバンドの強度は一番弱い物を使っています。これで三角筋や大胸筋、上腕部などを鍛える。鍛えると言っても今の私はダメになった筋肉を蘇生させるという感じ。
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最後は体幹。
寝転がった状態から起き上がるのも一苦労だったことから比べると今はずいぶん回復しているものの、すっと起き上がることができないのは体幹が弱い証拠。腹筋マシーンで足だけ使った腹筋をしたり、下の写真のように四つん這いになって、片腕と片足を同時に上げてバランスを取るようなトレーニングもやっています。
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このリハビリで難しいのは「やりすぎ注意」であること。
よくなってきたらついつい負荷をかけてしまいがち。その方が早く回復するんじゃないかと勝手に考えてしまうのだが、やり過ぎは良くない。次の日しんどくて何もできないというのは避けるべき(←これ、自己反省)。

回復状況は数値化できないので、通院時には必ず握力を測定し、回復の目安として考えている。昨年11月14日の入院以降ずっとゼロだったが、昨年12月22日にようやく左5.4、右8.1に。しかし1月6日はほとんど変わっておらず、ちょっとがっかり。
と、まあ、驚くようなスピード回復は望めないが、こうしてパソコンさわるのもリハビリだし、やれることを一生懸命やりながら気長に行きます。

ギラン・バレー症候群になった日(9:退院)最終回

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11/27(木)2週間の入院生活が終了、退院することになった。
快晴。病室の窓から富士山が見えた。めでたい。
入居(?)したときは新参者だったが、出るときは最古参になっていた。
他の3名は私が入ったときと全く異なる顔ぶれ。とは言え私以外は自力で歩けない人ばかり。いびきの音だけはよく聞いたが顔はろくすっぽ知らない仲。

10時過ぎ、片付けが終わったころ事務の方が請求書を持ってきてくれた。その額を見て驚いた。これが俗にいう高額医療費か!100回は余裕で飲みに行ける金額だぞ。限度額適用認定証を早くもらわなくては。。。一時的とはいえ大きな額だ。カードで払ってポイント貯めよう、ととっさに思った。
翌週以降の予約を確認し、無事に手続きを済ませ、病院を出た。正面入口では赤ちゃんを抱いて嬉しそうに撮影している夫婦がいた。ご出産だったんだろう。これもまためでたし。

帰宅後すぐに着替えて駅にある丸亀製麺に行った。駅まで徒歩7分が遠い。倍以上かかって到着。退院後はうどんを食べようと決めていたのだ。
そしてここで最初の学習。この手のお店に行った方ならわかると思うが、まずはお盆を持って並ぶ。オーダーして出来上がりを受ける。私はうどんを渡されたときに腕が上がらないので受け取れない。しかも、うどんがのせられたお盆が重くて持てない。妻がいてくれて助かった。
席につき、食べようと思ったら、お箸で麺が食べられない。食べられなくはないが、掴んで持ち上げて勢い良くズルズル〜っといけないのだ。
病院では麺類なんて出なかったからわからなかったんだな。

病院という限られた環境にいると、行動も動作も限られる。退院後は日常生活に戻り、さまざまな体験をする。それを通して不便さと向き合いながら日々の自主トレをこなしていく毎日が続くわけだ。「やることすべてがリハビリ」と療法士が言ってたことを思い出した。

「大変なのはこれからだな」
うどんを食べ終わったときの率直な気持ちだった。

それでも「退院」したことでテンションは高かったと思う。食後の運動と少しウォーキングに出かけたり、どんなものは着られるか?ベルトは通せるか?ボタンフライのデニムは履けるか?などいろいろやってるうちにドッと疲れが出て、日が暮れる頃には寝てしまった。

夜、お風呂に入るとき、久しぶりに体重計にのった。入院前より5kg減。お!やったー!喜ぶのもつかの間、すぐに落胆に変わった。マジマジと自分のカラダを見たのだ。たった2週間で筋肉がなくなったのだ。
肩幅は狭くなり、腕は細く、胸板というものはなくなっていた。手首も一回り細くなり、例えるなら晩年のジャイアント馬場のような風貌といったところか。大腿部を見ても毎週走っていたとは思えないほど細くなっていた。
病院にいるときは気付かなかったな。。取り戻せるのはいつだろう。これがまた焦りにつながる。

退院後は週に2〜3回リハビリ通院しながら家では自主トレを続け、完全復活を目指している。
退院後も頭痛、背中、首、肩の痛み(筋通、神経痛)は12月中旬まで続いた。痛みは徐々に癒え、先週あたりからはなくなった。格段に過ごしやすくなった。

ふだん行っている自主トレメニューは、大きく分けて3つ。
・体力アップのための運動(ウォーキングとか階段の昇り降り)
・体幹を鍛える運動(軽い腹筋など)
・腕の筋力、肩の筋力を上げる運動(ゆるいチューブ使って)
どれも健康な方から見れば驚くほど軽い運動を10種類ぐらいやってます。

これらを体調をみながら組み合わせ、決して疲れが溜まらないようにやるようにと言われています。
が、少し動くだけでは物足りないから、ついつい過ぎる。(運動が)過ぎると必ず疲れと筋肉痛が出てしまい、しばらく何もできない。できないとストレスが溜まり、罪悪感が芽生える。退院直後はジレンマだらけ。自分しかわからないほんの少しの回復度を喜びながら焦らず腐らず進む。そういうものだ。

退院から26日。リハビリの成果もありずいぶん回復している。
右手親指と左足の親指には痺れが残ったままだが、慣れもあってあまり気にならなくなってきた。
体力面ではまだ少し不安はあるが、通常のスピードで歩くことはできる。握力もずっと左右ゼロ状態だったが、先週ようやく計測可能となった(右:8.1、左:5.4)。ペットボトルのキャップを開けるには15kgくらいまで回復が必要。

残る課題は肩、腕、手、体幹。
指先までピンと伸ばしたつもりでもこれが精一杯。親指から中指までは自由に動くが薬指と小指はまだ仲間外れな感じだ。100%じゃなくても90%まで戻れば何でもできるだろう。

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入院前の姿を取り戻す「完全」復活まではもう少し時間がかかるが、社会復帰までは見えてきた。

最後になりましたが、長い間迷惑をかけっ放しの会社のみなさん、わざわざお見舞いにきてくれた友人たち、心配のメッセージやお見舞いのメッセージをいただいた友人たち、激励の言葉をくださった方々など、皆さまからの一言一言に私は勇気をいただきました。本当に感謝しております。

近いうちにお会いしましょう!

ギラン・バレー症候群になった日(8:経過)

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写真は大学時代からの友人U君がお見舞いにくれた”闘魂はちまき”。リハビリがんばってとのこと。看護師たちにもウケたw 前話の最後になんとかお箸が持てるようになったと書いたが、同時にペンも軽く握れるようになった。11/23からのメモ書きはこれまでより読みやすい(笑)

外泊から戻った翌朝11/24(月)、頭痛が酷くて朝5:00ごろに目が覚めた。あまりの痛さにナースコール。ロキソニンを飲んで少し落ち着いたが、9:00ごろにはまたズキズキジンジン。6時間の間隔をあけないといけないので我慢。看護師がアイスノンを持ってきてくれたが何も変わらず。11:00にもう一度ロキソニンを服用後、少しおさまってくれた。
治療が終わる頃から発生した頭痛や肩、首の痛みは、日々その度合いは違えど、しばらくの間私を苦しめることになる。

さて、四肢の案配はというと、昨日より今日、今日より明日というように日々良くなっているとは思うが、目に見えて良くなっているという実感はなかった。
ただ、やってみてできるようになったことと、いつの間にかできるようになっていたことがあり、自分でも気付かないこともあるんだなあと。
また、動けるようになってくると出来ないことの多さにショックを受けたり、イライラしたりするものだが、リハビリ科のPT、OTの療法士さんたちと話をすると不思議と癒された。

私のようなリハビリ医療素人が言うのはおかしいのかもしれないが、リハビリ現場にはあらゆる状態の方がいらして、それぞれに焦燥、不安、絶望、期待、躍動といった感情が渦巻いている。
そういった感情を持つ患者さんたちを勇気付け、励まし、時にはダメ出ししたりしながら回復のサポートしているのはすごいなあと感心しきりだった。私のPTの先生(女性)は元都銀の銀行員という経歴で趣味はマラソン。共通の話題が多く話は盛り上がる。リハビリ行くのが楽しみになるってことはいいことだ。

そんな数日の経過、
・右手の手のひらが中指あたりまでピンと張るようになった
・寝ている状態で右腕が45度まで上がるようになった
・何とか一人でTシャツを着ることができた
・15段の階段を手すりを掴まず2回昇降できた
・トイレ時のパンツの上げ下げもだいぶスムーズに

こうした経過と外泊時の家庭生活の状況を担当医と話し、いよいよ退院が決まったのだ(嬉)。