ギラン・バレー症候群になった日(7:リハビリ〜外泊)

Rehabilitation

11/18、5日間の治療が終わった。4日目には右足の痺れが和らぎ始め、左手の痺れがなくなった(右手親指と左足親指の痺れは今も残っている)。進行が止まったと判断されたのだ。翌11/19からはリハビリを開始すると伝えられた。一歩前進だ。
ただ、不安はあった。血圧は相変わらず高く、4日目あたりから頭痛と首、肩、背中の鈍痛がひどい。最初のうちは我慢していたが、あまりに酷いのでロキソニンを飲むようになったが、飲んでも効かないときがあるほど酷いときもあった。この後、痛みは12月2週目くらいまで続いた。

話をリハビリに戻そう。
リハビリ初日、看護師といっしょにリハビリ科へ。一人で歩けるのだが、念のため付き添ってもらうことに。午前は理学療法(PT)、午後は作業療法(OT)、前者は立つ、歩く、座るなどの基本動作、後者は指を動かしたり、食事をしたりという日常生活動作を回復させるためのリハビリだ。

関東労災病院のリハビリ科は評判がいい。スポーツ選手の通院がとても多く、プロサッカー選手や体育会系大学生もほんと多い。そういう人たちから100歳近いご老人まで多彩な顔ぶれ。リハビリ科に来ることだけで疲れてしまって車椅子でずっと寝ているおばあちゃんもいる。

私はと言うと、前回書いた通り、細かいことはできないのだが、ゆっくりと歩くことはできたし、トイレの便器に座ったりもできる。趣味のジョギングもまあまあやってる方だし下半身はあまり問題ないのではないかと思っていたら、想像以上に自分のカラダは使えなかった。初日は寝た状態から起き上がることができなかった。病室は電動ベッドなので起きる前に上半身を起こしていたのだ。床に座った状態からも立ち上がれない。緩やかな階段(5段)の昇降を2度やっただけで「はぁはぁ」言ってる。。。と、まあこんな状態。

午後はまず文字を書くにもペンがうまく握れない。握力は左右ゼロ、両腕が上がらない(特に右はほとんど動かない)
筋力が激しく落ちているため、ごくごく軽いトレーニング(赤ちゃんでもこれぐらいできるでしょ的な)をやるのだが、それだけで結構こたえる。

というわけで頭痛+神経痛+リハビリという生活となったが、3日続いたところで朗報。土日外泊許可がもらえたのだ。9日ぶりに外の空気!病院での生活だと動作が制限される。家に戻って日常生活をこなすことで出来ないことがわかる。そのための外泊だった。とにかくうれしかった。
前日の金曜日には左腕だけが肩より上に上がるようになっていたので二重の喜び。

この外泊2日間にできなかったこと。
・クルマのドア開閉
・封筒をはさみで開封←すごくゆっくりなら可
・耳かき
・爪切り
・プリンのフタを開ける(はがす)
・床に寝転がった状態から起き上がる(もたれるものがあれば○)
・カラダを洗う(ゴシゴシできない)
・髪を洗う(右腕が上がらない)
・コンセントの抜き差し
そして、帰宅した日の午後、近くのコンビニまで歩いた。往復500mくらい。ふらついたりすることはなかったが、膝が抜けるような感覚が1度あった。

この2日で一番嬉しかったのは日曜日になってお箸が握れるようになったこと。また明日からリハビリがんばれそうだ。そんな思いで病院に戻った。

ギラン・バレー症候群になった日(6:入院生活)

room

点滴治療も3日目となり、針が刺さった状態にも慣れてきた。私の場合、怠さや不自由に対するストレスはあっても、痛みを伴わないため、闘病生活というほどの緊迫感はない。

私は神経内科病棟で4人部屋。私以外は神経系の痛みを伴っている病気のようで「いたたたたた!」という叫びが日常的。私は幾分かマシなんだろうなといつも感じていた。また、後日歩けるようになってフロアを徘徊していたが、私より若そうな入院患者を見たことはなかった。神経内科とはそういうところなんだろう。

入院生活というものは基本毎日同じリズム。朝6:30に看護師に起こされて検温、血圧測定、7:30ころに朝食。その後歯磨き、両手で歯ブラシを持ち、なんとも頼りない歯磨きをする。歯磨きでエネルギーを使ってしまい、しばし横になる。
ボーッとしてると9:00過ぎに点滴がスタート。始まると夕方までトイレ以外は寝たり起きたり本を読んだり。治療中の5日間は実につまらなかった。

本を読みたいが寝たままでは握力がなく本を支えられないので読めず、座って読むことになるが、眠くなるし、集中力がもたない。ついついiPhoneをさわってしまう。
スマホはほんとありがたいアイテムだった。この頃は文字を書けなかったので日常をメモできたのは腕の力や握力がなくても使えたiPhoneのおかげ。

3日目以降しばらくの間はいろんなことができなくなっていた。行動範囲が狭いのと限られた活動しかしないのでこれぐらいのことだが、些細なことができなかったのはストレスだった。
・牛乳パックのストローが刺せない
・袋物のおやつは開けられない
・歯磨き粉チューブを持ったままチューッと出せない
・食事のデザートで出されるゼリーとかプリンのフタが開けられない
・ペットボトルのキャップが開けられない(今も尚)
・左手ではスマホがつかめない
・ペンが持てず文字が書けない
・お薬(錠剤)をパッケージからプチっと出せない
できないことがあるたびにナースコールするのも気が引けるので、妻が面会に来ているときにできないことを助けてもらった。本当に感謝。

入院3日目に初めてシャワー入浴をした。以降は2日に1回。一人ではシャワーヘッドを掴んで浴びることはできないし、カラダや髪を洗うこともできなかったので妻が面会に来たときに手伝ってもらった。神経が作用してないため、指は曲がったまま手のひらはまっすぐならないので顔も洗えないのは結構ストレス(今でもそう)。

そうそう、看護師と仲良くなったりするのかなあ、なんて思っていたがそれはなかった。早番/遅番のシフトがあり、毎日担当も変わるので、あまり親しくなれる方がいなかった(残念)ただ、いろんな人がいたね。慎重派、慌てん坊さん、新米ちゃん、大ベテランさん、親しいやすい人、冷たい感じの人などなど。皆さんには本当に感謝してます。ただね、みんなマスクをしているので素顔がわからん!そういえば、目元が矢口真里にそっくりの看護師がいた。ざわちんのメイクかと思うほどよく似てた(後日、マスクなし状態を拝見するとまったく矢口真里には似てなかったがw)。

こうして5日間が過ぎていった。

ギラン・バレー症候群になった日(5:進行)

shokuji

11/15(土)6時半くらいだったか、看護師さんに起こされて目が覚めた。朝の検温と血圧測定だ。37.4℃、血圧は160/110とかなり高め。自分でも驚いた。「トイレ行きたい」といって起き上がろうとすると両腕に力が入らなくなっていた。ふだんのように一人でスっと起き上がれなかった。ベッドを少し起こし、両足を上下に振った反動で起き上がった。左腕の怠さは増し、右手の痺れはじんじん。両足もかなり痺れ、確実に進行していると感じた。

さらに病状の進行を思い知らされたのはトイレのとき。男性特有の立って用を足すことが(ふらついて)むずかしいため、座って用を足したのだが、終わって立ち上がりスウェットパンツを上げるのに力が入らない。ゴム部分を掴めないので両手親指でうまく引っ掛けることには成功したが、そこから腰まで引き上げることができない。OMG! なんてこったい。再度がんばってみたがやはりダメ。腕がぶるぶる震えるだけで力が入らない。観念→ナースコール→応援要請。看護師さんに引き上げてもらった(照)。

ベッドに戻って大きなため息が出たことは覚えている。7時半になって朝食が運ばれてきた。寝てるだけなのにお腹は空くものだ。看護師さんが「食べにくかったら言ってくださいね」と。なんのなんのごはんくらいはと思っていると、お箸がうまく掴めない状態になっていた。フォークやスプーンは用意されていたので「ははーん、そういうことね」とフォークで食べ始めると、病状の進行に気付いた。食べる道具の問題に加え、噛む力と飲み込む力が衰えていたのだ。
その日の夕飯から数日は写真のような食事(とろみ/刻み食というドロドロの糊のようなごはんととことん刻んだ野菜やお肉)に変えられた。これは不味すぎて苦痛そのものだったのだ。

そして9時過ぎから17時頃までずっと点滴しながら寝てるだけ。合間にトイレ。夕方になって担当医が診にきてくれた。「かなり進行してますが、これがピークなんでしょうか?」と訊ねると「どこがピークかわからないので今がピークになることを祈りましょう。とにかく安静に」と。難病に相応しい回答だ。しかし、夜にはさらに悪化する。ナースコールのボタンすら押すことがむずかしいくらい力がなくなっていた。