2016年は「ていねい」に生きる

macとトラベラーズノート

1月3日にオンエアされた『小泉今日子 50歳 ニューヨーク』という番組を録画していたのですが、昨夜ようやく観ました。
見始めてすぐ「キョンキョンってほんといいなあ。」と。私の1歳上で2月4日に50歳になる彼女は私にとって単なる同世代のアイドルではなく、良い歳の取り方をしているお手本のような存在。
かわいいアイドルから我が道を行く女アイドルとなり、結婚、離婚を経て適度に力の抜けたステキなオトナのキョンキョンになった。とてもいい感じ。

番組冒頭、彼女の独り言のようなトーク。「30代終わりに再び独身となったころ、一人で生きてやるんだ…そのために変ながんばり方をしてしまった。女としてはかわいげのない時間の過ごし方をしてた。50歳になるのを前に、女であることを意識して、楽しんでみたい」と。
番組の主旨は正直よくわからないのだが、妙に彼女の思いが刺さり、この番組に見入ってしまった。

理由は年齢のせいですかね。同じく春にフィフティーズ(50歳)の仲間入りとなる私も明確な言葉はアウトプットできないが、生きる意味や時間の流れを考えずにいられないお年頃なのかもしれません。人それぞれ幸せのモノサシは異なるが私自身は本当に幸せなのか?自分らしい生き方って何だろう?って50を前にあれこれ悩むようになってきたのです。

年が明けて、仕事とプライベートでの目標を立てました。
仕事では「プロセスを重視する」ことと「仕事の質にこだわる」こと。
組織の中で生きるためにもっとも大事だと思うこと、これまでも何度も大切だと感じていたことをあらためて2つ切り出して目標とした。今日はこれがテーマではないので深堀はしませんw

そしてもう1つ立てたこと。それは「ていねいに生きる」ということ。特段プライベートな目標というものではなく、むしろこれからずっとこだわって生きていきたい永遠のテーマかもしれません。
昨年後半、ほんと仕事漬けの生活だった。仕事を追い越したいが、いつも仕事に追いかけられる、そんな毎日。休日はバテバテで何もする気にならない。部下には偉そうなことを言いながら、自分のライフスタイルが雑になってきていた。そういう自分への苛立ちもあり、年末にストレスはMaxになっていたと思う。

実家への帰省から戻ってきて、最初の1週間の平常運行が終わり、成人の日絡みのこの3連休は心を休めるのに最適な時間だった。
まずは数年前から使っているノート(トラベラーズノート)をメンテナンスした。
昨年後半から使ってなかったのと乾燥もあって革がカピカピになっていたので、コラーゲンジェルを塗りこみ、保湿ケアを試みた。そして、リフィルを入れ替え、スケジューラを2016年版に入れ替えた。
こういう作業は靴磨きと同じで気持ちいいものだ。
メンテナンス後は直近の予定を書き込んだり、別のリフィルに書き込んでいる大事な考え方やフレーズを見返して、新しいリフィルに書き写したり…なぜか無性に文字が書きたいと思い、ずいぶんいろいろと書き込んだ。脳と右手が喜んでいる気がした。

生きる時間は限られているし、残りの人生でもう1つや2つ、情熱を燃やせることがあってもいいかなと思ったり、少なくとも60歳までの10年がもっともっと楽しくなるにはどうすればいいだろう、そう考えると「ていねいに生きていくこと」でその答えは得られるのではないかと。そんなことを考えながら本棚に目をやり、松浦弥太郎さんの「ベーシックノート100の基本」を引っ張りだし、再読した。「ていねいに生きる」というテーマは間違ってない。こういう生き方ができる人間にならないと。

昨日1/10にジャーナリスト竹田圭吾さんが膵臓がんで亡くなった。51歳、とてもショックだった。自分と年齢が近しい方が亡くなるのは本当に辛い。若い頃はあまり気にならなかったが、いまはかなり感じ方が違う。ていねいに生きることをテーマとし、キョンキョンの番組を観た後に飛び込んできた竹田圭吾さんのニュース。

ていねいに生きよう。大人として。
そんな2016年の始まりです。

プレ50歳(49歳)になりました

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今年もGoogleからお祝いのメッセージ、どうもありがとう。
今しがたFBの誕生日お祝いへのコメント返しをいったん終え、自分のことを書いてます。

本日(4/6)、40代最後の年齢となりました。
49歳、プレ50歳です。
まずは何とかこの日を無事に迎えられたことに感謝したいと思います。
昨年の病がまだ多少引きずっている関係で手放しでは喜べない感情でしたが、FBで友人の皆様からの温かいメッセージを読んでいると、気持ちがリフレッシュしたというか、うまくリセットできたような気がします。月並みな表現ですが、だいぶ元気になりました。

自分と関わっていてくれるすべての人に感謝したいと思います。
個別にはお会いした時に御礼するとして、クラスターごとにメッセージを。

[先輩諸氏へ]
決して年齢差を縮めることはできないのですが、一歩でも皆さまに追いつけるよう一層の精進をして参る所存です。私のような後輩にもう少しお付き合いください。

[後輩諸氏へ]
型は古くても時化には強い。気持ちではまだまだ負けませんし、簡単には抜かせないつもりです。お会いしたときは大いに話して大いに笑いましょう。若いうちに一生懸命生きて人生を楽しんでください。

[同輩諸氏へ]
一足先に49となりましたが、まだまだ老け込むわけにはいきません。みんな一人一人の存在や活躍が私の心の糧となっています。会ったときには杯を酌み交わしましょう。

最後に。
瀬戸内寂照さんは「笑うこと」は大切だと言いました。
先般のエントリーで書いたように私の座右の銘は「笑うてる奴が一番強い」です。
どんなにしんどい状況でも笑っていられる強さをもって40代最後の一年を過ごそうと思ってます。
プレ50を丁寧に生き、オン50でもう一度花を開かせ、ポスト50が倍以上楽しく笑って暮らせるような、そんな人生にしたいですね。がんばります。

笑うてる奴が一番強い

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(Photo:Tiberiu Oancea)

一昔前のアクション映画や刑事ドラマには「笑っていられるのも今のうちだぜ」という台詞がよく登場した。
「コノヤロー、何を笑っていやがる!笑っていられるのも今のうちだぜ、覚えてやがれ!」という一連の台詞。

この台詞を吐いている方は、だいたい悪役。
この台詞を吐かれている方は、だいたい主人公(ヒーロー)。
そしてだいたい主人公が勝つ(まあそうだろうね)。

私の座右の銘は今日のタイトルの「笑うてる奴が一番強い」
いつからそんなことを座右の銘にしたのか定かではないが、若い頃からよく笑い顔と言われてきた。

時にはもう少し真面目に人の話を聞け!なんてことを言われたような記憶もあるが、基本、何も茶化しているわけではなく、おもしろがって笑っているわけでもない。そんな顔だと思われていたのだからそれは仕方がないこと。
本人としてはそんな顔をしているとは思ってないのだが、目尻が下がっているのか、口角が上がっているなのか、まあそんなところだろうか。そう言われるがすごくイヤだった頃がある。

だけど、自分の笑い顔への嫌悪感がいつしか消えていった。
具体的にいつだったか忘れたが、今から15年以上前のある日、仕事で現業部門への応援があったとき、同僚から「こんなキツいのによく笑ってられるね」と言われたことがある。
そのときに初めて「しんどいときに笑ってると他人から見て、こいつアホか、変人か?」と思われ、呆れられ、やがて「あいつ、強いな」と思われるんじゃないか、ということを思ったのだ。

冒頭の台詞や、野球、テニス、サッカーなどのスポ根漫画などで主人公が上級生やコーチからいじめのような練習を受けるシーンなどでも笑いながら「もういっちょこい!」と笑いながら凄み、上級生、コーチのほうが根を上げるというシーンがある。

性格的に自分をストイックに追い込むことはできないのだが、なぜかしんどくても笑うことはできる。
「笑う」ことはハートの強さなんだとその頃から考えるようになった。強くはないけど、笑ってさえいれば強さは後からついてくるんだろうと思って笑った。

笑う門には福来たる
笑いは人の薬
笑う顔に矢立たず

「笑う」ことに関することわざもある。
困難なときこそ、笑ってコトや人と向き合おう。
笑うことは万病の薬になるはずだ。写真の赤ちゃんのような笑顔はできないが、笑顔に人は癒されるし、幸せな感情に包まれる。勇気ももらえる。
何の裏付けもないが、そういう奴にいつかラッキーは舞い込むと信じ込んでいる。

明日は自分の49回目の誕生日。一日笑って過ごしたいと思う。